「それも仕方ありませんわ
「それも仕方ありませんわ。どれもこれも冬乃さんが謝ることありませんの、頭を上げてください」
千代の慌てた声に、冬乃は頭を上げながら、胸内をちくりと刺される想いに、小さく息を吐いて。
千代のほうは、冬乃を気遣うように小首を傾げた。
「それに冬乃さんとお出かけできるだけで楽しすぎるくらいですもの。沖田様には、どうかご自愛くださいますようお伝えください」
その、かわらぬ千代の明るい笑顔と。
もし冬乃がこんなふうに、international school hong kong island 千代と沖田の再会を妨害するつもりでさえ無ければ、救われたであろうその優しい台詞に。
冬乃は、もはや耐えられず。この後また仕事に戻らなくてはいけないと言い置いて、早々に千代の家を後にした。
昼間の人通りの多い中、何事も無く帰屯した冬乃は、女使用人部屋へと戻り。
(今日の持ちまわりは・・)
お孝が今朝きて置いていった当番表を手に取る。
使用人をもう数人雇ってもらえるように茂吉が動いてくれているらしい。大変なのもあと少しだろうかと。
願いつつ冬乃は、前掛けをつけて外に出ると、縁側に立てかけてある箒とハタキを手に取った。 途中ですれ違う隊士達が、挨拶してくれるのへ返しながら隊士部屋の建物へと向かう。
千代の家から帰ってくる頃は空を覆いがちだった雲の隙間を、覗き始めている日差しに冬乃は目を細めた。
遠くからは、隊士たちの威勢のいい掛け声が聞こえてくる。移転に伴い増設された道場からだ。
本来ならばお経が聞こえてくるはずの、ここ西本願寺の境内で、勇ましい男達の哮え声が響いているさまに、冬乃はおもわず笑ってしまう。
「冬乃さん、」
前から近づいてきていた隊士が、つと冬乃を呼び止めた。
(ええと?)
たしか一昨日あたりに声を掛けてきた隊士の中にいた気がする。
「考えておいてくださいましたか?」
「え」
立ち止まるしかない冬乃が、戸惑って彼を見返すと、
「僕と呑みに行くことをです」
きりりとした眼差しが、冬乃を見つめてきて。
彼が眼鏡をかけていたなら、確実にフレームを人差し指で持ち上げているだろう。
冬乃の学校にいる風紀委員たちのような、どことなく潔癖な雰囲気が漂っていた。
もっとも、いきなり呑みに誘ってくる時点で、風紀委員も何もないかもしれないが。
(誰だっけ・・)
あの時、名乗られた気もするが、何人も同時だったのでよく覚えていないのだ。 「あの、すみません。前回もお伝えしたと思うのですが、忙しいので呑みに行ける時間が無いのです」
「そもそも、僕の名前を覚えてくださってもいませんよね」
「え」
「つまるところ、はなからご一緒くださる気がないだけでしょう」
冬乃は押し黙った。
というより、そこまで分かっているなら、諦めてくれてもいいものだが。
「僕は池田小三郎といいます。まずは覚えてください」
(覚えてくださいって)
冬乃は苦笑してしまいながら、その記憶にある名に改めて思い至った。
そういえば池田はこう見えて、のちに沖田達と同じく組の撃剣師範を務めるほどの、一刀流剣術の遣い手だ。
冬乃はおもわず見直して、いずまいを正してから、
「ごめんなさい」
ぺこりと詫びた。
「以後、池田様のお名前は忘れません。ただ、呑みには行けません」
「そもそも、休みの日も忙しいと仰いますが、夜までお忙しいのですか」
顔を上げた冬乃を、きりりと、やはり眼鏡の似合う顔が追求してきて。
「ハイ」
冬乃は慌てて頷く。
「いつも夜もお忙しいということは、いつも先約があるということですよね?それも夜ならば、呑みの先約が」
「そういうわけではないんですが・・」
なんだか理詰めで迫られそうで、冬乃は恐々と構える。