信継は目を見開く

信継は目を見開く。

これには、牙蔵もほんのわずか、反応した。

 

「…」

 

「…っ何を…!!」

 

詩は続ける。

 

「信継様、それより…お願いです…。

お梅さんを気に入っておられるなら、どうか…お梅さんを大事にしてあげてください」

 

「…はっ?」

 

真剣に頭を下げる詩を信継は茫然と見つめる。

 

「うめ…?」

 

詩は驚いたように信継を見て、それから思わず隣の牙蔵を見つめた。

 

「…梅とは誰だ?」

 

「……っ」

 

信継の言葉に、詩は明らかに傷ついた目をした。

 

「信継。

 

後宮の。三鷹の侍女」

 

牙蔵がボソッと言うと、信継はハッとしたように詩を見た。

 

「あ?

 

ああ…、あの女子か…」

 

信継の反応に、詩は信じられない気持ちで目を伏せる。

 

”2晩、一緒に過ごした”

 

男の人だ。まして大国の嫡男。

女子に対して複数の愛を持つのは仕方ないのかもしれないーーそうは思っても。

梅は詩の知っている人だ。

 

自分を『絶対嫁にする』と熱く語る信継が、一方で同じ女子である梅を、軽く扱うのは嫌だった。

梅のあんな、恋をする顔を見たらなおさらーー

梅のことなどすっかり忘れていた信継は、思い至ってカッと赤くなった。

 

「いやっ

 

桜、違う…違うぞ、

 

何を聞いたのか知らないが、それは誤解だ!!」

 

「…」

 

「俺は…あの女子にお前のことを聞いていたのだ!!

 

あの女子とは、何もっ…断じて何もない…!

 

俺が好きなのは桜だけだッ」

 

牙蔵はぷっと笑った。

 

詩は、なるべく動揺を顔に出さないようにしながらも、信継と牙蔵を交互に見つめる。

 

「本当だっ…

 

その女子に聞いてくれ…!」

 

「…私は…お梅さんからお聞きしてーー」

 

途端、ぷーっと牙蔵がたまらないとばかりにふき出す。

 

「…信継が悪いな。

 

夜の密室で後宮の女子と2人。それで何もないってのを信じろって方がおかしい。

ましてお前はそれを推奨される身分だし」

 

信継は真っ赤になって牙蔵を睨んだ。

 

「やめれ牙蔵っ!お前からも言ってくれ」

 

「知らないものを…無理だね」

 

牙蔵は冷たく突き放す。

 

「おいっ…!

 

桜!!ホントに何もないんだ…!!」

 

「あーあ」

 

どこか面白そうな牙蔵と、困惑したままの詩。

 

信継は焦って、必死に弁明する。

 

「もう一度でいいから、その梅に聞いてくれ!

 

俺は潔白だ…神仏に誓ってもいい」

 

「…」

 

「…っ…それより桜!!

さっきから、なんで牙蔵に懐いてんだ!!」

 

信継は面白くなさそうに牙蔵を睨み、詩を見つめた。

 

怒った顔。

 

信継は筋骨たくましい、大柄な男だ。

整った顔も迫力があって、もともと眼力も強い。

 

詩は睨まれた気がして、その迫力に思わずビクッとしてしまう。

 

牙蔵が庇うように詩の前に出た。

 

「ほら、怖がってるだろ」

 

信継はハッとして、前のめりになっていた上体を戻す。

 

カッと赤くなって、詩を恐る恐る見つめた。

 

「…すまん」

 

「いえ…」

 

詩は小さく会釈する。

 

「…桜」

 

詩は信継を見上げる。

 

「…怖がらせるつもりはなかった。

 

少し、2人になれるか」

 

静かな声に、牙蔵は音もなくスッと立ち上がる。

 

詩は少し不安気に、牙蔵を見上げる。

 

「…後で」

 

牙蔵は大丈夫だとでもいうように、かすかに頷いて詩に告げ、出ていった。

 

「…」

 

詩は姿勢を正したまま、信継を見る。

 

「桜」

 

静かな声だった。

 

やはり、父に似ているーー詩はそう思う。

 

「…怖がらせて悪かった」

 

詩は小さく首を振った。

 

「俺は…どうしたって、お前が欲しい」

 

「…」

 

信継の目ーー

 

その瞳の奥に揺らめく、熱い感情は。

まだ恋を知らない詩の心の奥にまで忍び込んできそうでーー

 

「本当に初めてなんだ…その、女子に…こういう気持ちを持ったのは」

 

「…」

 

「桜が…桜だから」

 

「…」

 

「桜が何者であってもーー俺は」

 

「…」

 

「お前を好きになった」

 

「…」

 

信継の瞳が大きくて、ゆらゆら揺れるそれは少し潤んでいてーー

色んな感情がほとばしって来るようでーー

 

「…」

 

詩は目を逸らせず、信継を見ている。

 

「自分でも…どうしたらいいかわからないぐらいに」

 

信継の吐息のような声。

 

信継は目を伏せた。

詩はまた、不思議な気持ちでそれを見ていた。